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  −青葉城址 銀山温泉 石巻 秋保温泉 など−

     仙台・尾花沢 東北の旅
                              
1.はじめに   仙台を拠点にして散策してきました。  宿舎は、友人の妹君が別荘として使っているマンションです。京都から東京  までに散らばっている友人6人が集合しました。往復の交通は、各人の都合  に合わせて別々、昼間の観光も各人の好みで自由行動、という気楽な集まり  です。どんな発見があるのか、楽しみな4日間でした。 2.神戸空港   関西から仙台に行くには、新幹線、高速バス(京都発の仙台行きあり)、  フェリー(名古屋から)、飛行機などがあります。  私は往復とも飛行機にしました。 20060627-30sendai (1).jpg  飛行機にした理由は、神戸空港です。 今年(2006年)2月16日開港の空 港を覗いておきたい、と思ったためです。 ←神戸空港マリンエア      ↓幼稚園の子供たち    20060627-30sendai (1B).jpg   JRの最寄り駅は三宮で、三宮から空港までは無人運転のポートライナー  で20分でした。滋賀県からのアクセスは割合スムーズです。  航空券はインターネットで予約しました。28日以前予約割引+チケットレ  ス割引で、片道11,100円でした。意外なことに、名古屋空港からより  も、神戸からの方が片道100円安いのでした。   3.青葉城址   仙台空港からバスでJR仙台駅まで40分でした。  この日は青葉城址を訪ねる予定だったため、仙台駅の案内所で尋ねたところ、  「ループル仙台」というレトロ調のバスが巡回していることが分かりました。 20060627-30sendai (2).jpg  ループル仙台は、晩翠草堂から始まる 市内の観光スポットを、一周1時間で巡 回しています。1回250円、1日乗り 放題は600円です。 ←ループル仙台  ↓晩翠草堂(晩翠が晩年を過ごした家)  20060627-30sendai (3).jpg   青葉城は、関が原の後に60万石に封ぜられた伊達政宗が築いた城です。  現在、城はなく、城址だけです。  本丸の石垣は、ヨーロッパの城壁などに見られるように、四角に加工された  石で隙間なく積み上げられていました。「最近仙台市が修復した」旨の案内  を見かけたので、つまらないことをするものだ、と一挙に興ざめしました。 20060627-30sendai (6).jpg  しかし、修復作業の展示現場の担当者に聞いた ところ、この石垣は昔からの石を、そのまま積み 直しただけなのだそうです。 ←伊達政宗の像      ↓加工された石を積み上げた石垣     20060627-30sendai (8).jpg  城跡の公園には、土井晩翠の像がありました。 「荒城の月」の作詞者として名高い晩翠は、明治4年(1871年)に仙台で  生まれ、昭和27年(1952年)に晩翠草堂で亡くなりました。 20060627-30sendai (5).jpg ←土井晩翠像  島ア藤村の詩碑がありました。  明治5年(1872年)生まれの藤村は、明治 29年(1896年)、25歳のときに東北学園 へ英語教師として赴任し、「草枕」の詩を書き上 げたそうです。      ↓藤村の詩碑     20060627-30sendai (4).jpg   青葉城址は青葉山の上にあり、名前のように青葉に囲まれていました。  上空から眺めたら壮観だろうと思いました。20060627-30sendai (7).jpg  そこで、清水から飛び降りる思いでヘ リコプターをチャーターし、上を飛んで みました。左端に上の写真の石垣が見え ます。  チャーター費用はどれ位か、など興味 のある方は こちら をご覧ください。  ↑上空から見た青葉城址    青葉城址を見学した後、友人3人と仙台駅で合流しました。  京都と名古屋からの友人はフェリー、東京からは新幹線で来ました。合流し  た後、人気のあるホルモン焼き屋に行き、店の外で1時間待ちました。  腹ごしらえをした後、4人でゲームを楽しみました。   4.銀山温泉   翌日、私は友人に会うため、一人で山形県の尾花沢市に行きました。  仙台から新庄行きの48ライナーという特急バスが出ていました。48号線  を走るバスです。バスの最前列に座って景色を眺めていたら、あっという間  に1時間50分が過ぎて尾花沢に着きました。   バス停で友人が待っていました。  私が東京で勤務したときの友人で、40年振りの再会です。友人の家はバス  停のすぐ近くでした。仙台は涼しかったのに、ここはむっとする暑さでした。  「山形は暑いんだよ。ここは冬には2−3メートル雪が積もるしね」と友人  は東京にいたときよりもやや強い東北弁で言いました。   友人が連れて行ってくれたのは銀山温泉です。 20060627-30sendai (12).jpg  ここは江戸時代の初期に銀山として栄え、 寛文11年(1671年)頃に閉山となった後、 温泉地として発展してきたそうです。 ←手掘りの坑道跡 20060627-30sendai (13B).jpg  温厚な友人は土地の開発事業などにも関わっ てきたため、顔が広い様子でした。  友人が親しくしている土産物屋さんに入って みると、昔の温泉街を撮った写真が掲載されて いました。 20060627-30sendai (13A) .jpg ←大正時代の温泉街(江戸屋さん掲示)     ↓現在の温泉街   20060627-30sendai (13).jpg 20060627-30sendai (15).jpg  銀山温泉は、木造3階建ての旅館が有名です。 かつては「おしん」のロケ地として、近年はアメ リカ人女将(ジニーさん)が知名度を上げるのに 寄与しています。  ←木造3階建ての旅館     ↓アメリカ人女将の旅館(建替え中)    20060627-30sendai (14).jpg      友人は不動産関係の仕事をし、地道に自分の居場所を固めてきたようです。  山形の蕎麦膳をご馳走になり、温泉で汗を流しました。  家族と友人宛にさくらんぼの宅配を手配して、仙台に戻りました。   夕食を済ませてからマンションに戻ると、名古屋からは飛行機、横浜から  は新幹線で、友人が二人来ており、熱戦が進行していました。 5.石巻(いしのまき)   今回は6人が合流しましたが、夜以外は全員で行動することはありません。  ご開帳となる夜だけがコアタイムで、昼は自由です。   翌日、2人は山形へさくらんぼ狩り、私を含む4人は石巻へ出かけました。 20060627-30sendai (18).jpg  松島を横目にしながら、JRで約1時間半で 石巻へ着きました。 ←松島の一部(電車から)    20060627-30sendai (16).jpg  石巻には、萬画家石ノ森章太郎さん の「石ノ森萬画館」があり、萬画の国 をうたい文句にしています。 (「萬画」とは、ジャンルを問わない  作品を量産した石ノ森さんの造語で、  「漫画」を越えた表現ツールである、  という意味のようです) ←JR石巻駅   石ノ森さんの生家がある登米市(中田町石森)は、石巻の少し北です。  (なぜ石巻が張り切っているのかは分かりません)   関西は梅雨空がぐずついていたのに対し、私たちを迎えくれた東北は晴れ  が続きました。とりわけこの日は雲ひとつない快晴でした。   しかし、この日の行程は、テポドンを打ち込まれた以上に悲惨でした。  この日の目的は、石巻漁港にある食堂で新鮮な海鮮料理を食べることでした  が、着いたのが漁港の食堂としては少し遅かったため、めぼしい料理はすべ  て売り切れだったのです。今回の仕切り役は、賭○で生計を立てている組長  です。この組長は、麻雀や碁で、私のような善良な市民からなけなしの小銭  を巻き上げて生活の足しにしている悪役です。  その組長が、朝ドラ見たさに出発時間を遅らせたのが原因でした。   その上、足の悪い仲間にお構いなくスタスタと先導した組長が道を間違え  たため、漁港の周りで往復1時間以上も炎天下を歩かされました。名古屋か  ら来た一人は膝と腰の痛みに顔をゆがめていましたが、帰ってからは病院通  いをしているとのことです。  この日は石巻へ往復し、ありきたりの定食を食べただけで終わりました。    6.秋保(あきう)温泉   翌4日目の最終日の朝、3人は所用で帰りました。  残ったのは組長と、組長の指示通りに忠実に動いたり、ときには組長に強く  意見をしたりする若頭(還暦間近)と、私の3人です。  この日は、年寄りらしくおとなしく温泉に浸かって過ごそう、ということに  なりました。   20060627-30sendai (24).jpg 仙台からバスで1時間ほどの近距離に、秋保 (あきう)温泉があります。  かつて、伊達家の湯治場が置かれたそうで、 有馬、道後とともに、日本三名湯のひとつに数 えられているそうです。 ←名取川  20060627-30sendai (17).jpg   自然公園のある湯に陣取りました。 露天風呂付きの温泉に浸かった後は、ゆ ったりと蕎麦を楽しむことができます。 (食事と入浴のセットで1,575円) 20060627-30sendai (23).jpg20060627-30sendai (22).jpg 灯篭あり  岩の間を走る水あり 20060627-30sendai (21).jpg   足湯あり(2箇所) 20060627-30sendai (19).jpg                       広い池あり                    20060627-30sendai (20).jpg   いくつもの花園あり、..。ゆっくり見てまわるのには30分以上はかか  りそうな、広い起伏のある庭園が広がっていました。   いつも碁盤を抱えてくる組長ですが、この日は手ぶらでした。  この日の朝帰った1人は組長の先輩で、日本棋院6段の猛者であるため、い  つものような元気を失くしたのかも知れません。 7.おわりに   杜の都と呼ばれている仙台は、緑一杯に包まれていました。  周囲の山々だけでなく、あちこちの街路樹の緑が街を包みこんでいます。  緑を見て気付いたのは、松、杉、檜などの針葉樹が見当たらず、ほとんどが  欅などの広葉樹だということです。 20060627-30sendai (9).jpg  青葉城址からバスで仙台駅に戻るとき、街路 樹が道路を覆っている光景に感動し、思わずバ スを降りてしまいました。  いつだったか、ドイツのデュッセルドルフを 歩いたときの感動が蘇ってきたのです。 道路が欅のような巨木の緑に包まれ、ゆったり とベンチに憩う人の姿が印象的でした。 ←定禅寺通りの街路樹   2004年に「景観法」が成立しました。  国土交通省は、「美しい国づくり」のために「襟を正す」と宣言し、量から  質への転換の必要性を強調しています。   景観についての私の関心は、ひとつは街路樹の整備です。  多分、仙台は街路樹の整備では日本の先端を走っているでしょう。 20060627-30sendai (10).jpg  もうひとつの関心は、電線の地中化です。 日本は先進国の中で最も遅れているようです。 今後数十年間の大事業として取り組むべきテーマだ と思います。  仙台も、地中化については十分とは言えません。 青葉通りから一筋奥に入った通りでは、依然として 蜘蛛の巣(電線)がはびこっていました。   景観についての私の想いを、近いうちにまとめてみたいと考えています。  仙台は、そのためのひとつの検討事例として、もう一度ゆっくり散策してみ  たい街だと思いました。                   (散策:2006年 6月27日                           〜 6月30日)                    (脱稿:2006年 7月12日) ------------------------------------------------------------------
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